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神父様のお話

 

病者の訪問  2006年6月

 私は生まれて間もなく、母が死に、父は私を連れて実家に戻りました。一人で赤ちゃんの面倒 を見るのは無理でした。その後、父が重病になり、38歳から正式な仕事をするのは不可能になり、 杖また車いすを使う必要になりました。私は7か8歳の時でした。その2,3年後祖父は失明して、 さらに大腸の癌を発生し、入院したり、退院したりする生活になりました。育ててくれたおばあ さんは心臓病で、心筋梗塞を起こしたこともあり、とにかく私は年寄りと病人に囲まれて育って 来ました。病人の毎日の生活、その大変さをよく分かっているつもりです、若い時から病人の世 話をしなければならなったのですから。そのせいかどうか分かりませんが、私は病人と年寄りの かたを同情しませんし、かわいそうとも思いません。私は病人を尊敬します。 教会もそうです。主イエスは病人を愛し、大勢の病人を癒し、嫌ほど彼らのために力を尽くし ましたのです。しかしその癒しの目的は、病気を治すためではなく神をもっと信頼する、信仰を 強めるためでした。キリスト教では病気はばち罰でなければ、呪いでもない、恵み、神からの精 錬、試練です。だから初代教会から教会の長老たちを招いて病人の上に手を置き香油を塗り、祈 ってもらって来ました。その病者の秘蹟は罪の許しと病を癒すためでした。精神学者は病気と罪 は深い関係があると言っています。と言うのは心の病、重荷があれば体に影響を起こすのです。 神に対する絶対の信頼ができなくなるのです、罪の中にあるものは、自分を中心して、神をない がしろにする人であり、神があたえてくださった試練を素直に受け入れることができないのです。 教会の代表者が来て信仰を強める祈りをして神様の愛の契約のみ言葉を思い起こせ、聖霊の力が 聖香油によって注がれ、その兄弟姉妹を神の愛の約束の中にさらに入浸するのは司祭の最も大切 な勤めの一つなのです。私は伊丹教会に来て5ヶ月になります。その間何人かが重病の状態になり、司祭を呼ぶのは、終 わりにあたりか、なくなられた後の場合が多かったのです。神父に迷惑をかけたくない場合であ れば、本人を怖がらせたくない面もあるとおもいますが、司祭を招くのは人を死ぬのを準備させ るためではなく、人の心と体を神の愛の計画により強く、積極的に入るためなのです。病者の秘 蹟は大いに癒しと健康をもたらすことを何回も見ましたし、未信者の看護婦、医者もこの秘蹟を 受けた患者の後の状態を見て驚いたケースも何回も見ました。信仰に基づいた祈りは癒しと救い を齎します。その理由でみな様に心からお願いしたいことがあります。もし、身内のかた、近所 の信者の方が病気になって、教会に来られない場合があるならば是非連絡して司祭を招いてくだ さい。軽い手術の前にでも、遠慮なく頼んでください。少年の時に私の祖父、祖母、父のために、 小教区の司祭が月二回必ず御聖体を持って訪れてくれましたし、それを見て私は医者よりこの治 療のほうが遥かに大事だなと思いました。年寄りの方々も同じことです、教会に思うままに来ら れない場合でも教会があなたの元に行くのは当たり前ことであって迷惑でも何でもない、かえって こちらのために大きな恵みになります。「私は病気の時に訪れてくださったのですから、私の父 が永遠に備えてくれた場所にお入りください」と主イエスが教えてくれたのです。[マタイの福音25 :36前後参考して下さい]。 小教区の皆さん、伊丹教会は高齢者が多いのです、私一人、あるいは、スタッフ、の皆さんだけで、 必要な情報を見つめるのは無理です、皆が小教区の方々の現状をお互いによく見守っていながら、 勿論その方の気持ちとプライバシーを守り、余計な世話を避けて、共に神の愛の計画に進んで行こ う。教会は死者のためではなく生きる人々のためにあり、さらに豊かに生きるために存在している ものです。

主任司祭 ハーン・フランシス神父

 


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