夏休みに向かって 2006年8月
今年の梅雨の始まりは遅くて雨が少ないかなと思ったところに梅雨前線が活発になり
大雨の日々が続き、うっとうしい毎日続いています。私の率直の気持ちはもう十分です、
雨が早く止んでほしいのです。だが梅雨明けの宣言があれば、また「暑過ぎ」と文句を言
うでしょう。人間は非常に勝手なものだな、少なくとも私が、そうであると思われます。
皆さまはいかがでしょう。七月が終わると学校は休みに入り、お盆が近づき、原爆の恐ろしさを思い起こし、なく
なられた犠牲者、身内のご家族の皆さんのことを記念し、気候とちょっと違う意味のう
っとうしさを感じます。しかしその暗い、重い気持ちの中に小さな光が輝いている気が
します。お盆の夜の灯籠流しみたいなものです。日本のお盆と聖母の被昇天祭と第二次
世界戦争の終了の記念日が重なっていることは単なる偶然のことと思いません。昔から
日本人がご先祖の皆さんと交わる、祭る気持ちは当たり前、もっとも自然な憧れである
ことを感じます。亡くなられた先輩の方々の犠牲の上に今日に至っており、その方々と
なんらかの結びを慕っている気持ちはすべて民族の文化の中にあるのです。死が滅亡、
終わりではなく別の所へ渡っていく集団に過ぎない願望の現われなのです。そして私た
ちもいつかその方々と一緒になる希望が心の中に潜んでいるとおもいます。
聖母マリヤが天に上げられているその神秘の意義が丁度そこにある。キリストが死に打
ち勝ち、死の恐れを追い払い、父である神の元に渡る集団に過ぎないと身をもって証し、
自分を認める、受け入れるすべての人に、同じ命と希望があたえられる主となられたの
です。聖母マリヤはその初穂です。戦争の恐ろしさ、人間の悲惨な行動より以上に神の
愛が輝きます。暗闇の中に必ず光が輝いているのです。人の魂は不滅なもの、永遠に残
る神に象られている存在なのです。原爆の犠牲者、ヒトラーとその連中に殺された大勢
の弱者、テロリストの過激派の恐ろしい偽善的な動き、またはアメリカ、イスラエルの
暴力主義的な行動が生じた犠牲者の命は、簡単に消されるものではないとこの時期に記
念され、祝われているのです。
小教区の被昇天祭のミサは当小教区から天に召されているすべての死者のために奉げま
す。キリストの最高の愛の証拠であり、その受難と復活とその再現であるミサのなかで
死に対する勝利の神秘を記念して、それによって私たちも亡くなられた先輩の皆と共に
結ばれます。聖母被昇天にあたり神の永遠の光の中に既に生かされている母マリヤは、
なくなられた皆様の希望であり、私たちの未来の姿でもある。このときこそ共にキリス
トの光のもとにつどおう。
主任司祭 ハーン・フランシス神父
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