夏休みを終えて 2007年10月
7月10日より8月30日まで、およそ7週間アメリカに帰国して、再来日してから間もなく1ヶ月になります。
人生はなんと早いものだ、と感じます。更に留守の間に三人の兄弟姉妹が昇天されて、その方々を見送る
こともできなくて何となく悲しい気持ちです。三人とも、もう会えることはないだろうと覚悟して出かけたが、
その死去を知らされた時に、アメリカに居た私は何となく、今までになかった寂しさを覚えた。小池神父様
とは30年以上前に知り合って、大阪教区で働くようになって再会し、会うたびにこの神父に惚れた。特にご
自分の病気を知られた後に神父様のその病気をうけとめる態度、不屈の精神、ニコニコしながら、戦いな
がら、身も心もこめて最後まで福音を人に述べ伝え、証しするこの司祭は貴重な存在であり大阪教区の
誇りと思っています。その司祭がいないと思うと本当寂しい気持ちです。しかし、小池神父様だけではなく、伊丹教会の信徒である他の二人の方にも同じ気持ちを感じました。二人とも一般の信徒の生活をして、洗礼を受けた後、最後まで教会を愛し、自分なりに犠牲を捧げながら、自分の人生を神様に捧げながら昇天なされて、小教区の共同体に大きな穴を残しました。二人とも自分なりに神様から頂いた十字架を背負い、最後までキリストと共に死に、キリストと共に復活する希望を抱いたのです。
私はアメリカに帰るたびに皆が何時帰って来るのか、どうして日本にいるのか、ここでは司祭が少なくなっ
ている、向こうでは司祭が信徒人数の割に余っているではないか、などと攻められているのです。しかし私
はそう思いません。日本の大国ではキリストを知らない兄弟が数切れないほど多くて、信徒が大きな犠牲
を払いながら信仰を守る現場です。更にこの三人のように、本当に信仰深い兄弟姉妹も多くいます。私自
身その方々と知り合って、関わりあいを持つことによって自分の信仰が強められて今日に至っています。
私が日本に帰るのは、日本のためではなく自分の救いのためです。大勢の未信者の物質的な精神に満ち
たこの現代の日本の社会は、未来の世界の象徴であり、日本の信者は未来の教会の先駆者的存在です。今、日本の教会の信徒たちは、自分の洗礼によってキリストから頂いた使命に目覚めて確認しつつあります。
司祭、修道士、専門家に任せて、お客さんみたいに教会に来る時代は終わったのです
教会全員がキリストを囲んで心を一つにして共に信仰を深め、迷っている世の中に神の無条件の愛をもたら
す使命を果す時が来た。死は滅びではなく、神が備えてくださった永遠の宴(うたげ)に入る瞬間です。死は
訳(わけ)が解らない、暗い、怖い、ものではなく、私たちが創られた目的の地の門であり、永遠の安息の場
に至る瞬間です。先に話した三人の兄弟姉妹が私にこれを証ししました。ごく普通の生活をしながら、神の力
を借りて毎日自分の弱さを捧げる信仰の神秘にかなった生活をなさいました。「何時、どこでも主キリストに
よって賛美と感謝を捧げることはまことに尊い大切なつとめ」を果した方々です。私はこの三人の生活が、神に頼って「キリストによって、キリストと共に、キリストの内に、聖霊の交わりの中で全能の神にすべての
誉れと栄光は世々に至るまでに」を実現した人生だったと確信しています。ある意味では、この世で送る人生はなんとも早いものであって、しかし、なんとも美しいものです。寂しくはあっても、この三人の死去とほかの数多くの亡くなられた兄弟姉妹を神様に委ねて、彼らから頂いた信仰の証しを踏まえて共に進もう、また会う日まで。アーメン
主任司祭 ハーン・フランシス神父 |