新しい年を共に迎え 2008年1月
明けましておめでとうございますという挨拶の声が今頃日本中に響き渡っています。新しい年を迎えるのは新しい心が必要なのです。旧年の過ちを反省して水に流し、身を清めて新たな気持ちで未来に向かう精神です。昔の日本では、お風呂に入り一年の汚れを流し、三日の間仕事を控えて初詣をして家族のみんなとお節料理を食べて友人と挨拶交換してなどなどの慣わしを通して新出発をする特別な時です。私が日本に最初に来たころNHKの紅白歌合戦を毎年とっても楽しみにしていました。あのころはまだ紅白戦は単純で新鮮な雰囲気でしたが、だんだん豪華で大げさなプロダクションとなり、私が年をとるとともに見飽きてしまいました。ある年テレビを消してお御堂へお祈りに行きました。その二、三年前から真夜中の0時のミサをその時に担当していた教会で始めていました。そのミサが始まるぎりぎり前まで紅白歌合戦を見ていましたが、その年のテレビのごまかしと愚かさに飽きて、もっと単純な時間を過ごしたかったのでお御堂へ行って、ミサの一時間ぐらい前を暗いお御堂、聖櫃の小さな光の前の静けさの中で過ごし新しい年を迎えました。それはどれほどよい気持ちになったか説明できないほどの素晴らしい年越しでした。その後、お正月の前後にテレビを見ることはなくなりました。本を読んだり、普段怠っていた整理をしたり、部屋をお掃除したり、などなどの気晴らしの仕事をするようになりました。昔からすべての文化の中で一区切りを作って、今までのことを反省して、できるだけ自分の人生を整理して出直す必要性が認められていました。言い換えれば改心(回心)とは人生の大切な行動です。しかし今の時代は、クリスマスにしても、お盆、お正月などの季節でも何も考えず、人々はゾンビみたいになってテレビ、コンピュータ、パチンコの機械の前に腰をおろして家族、友人と関わらずに現実な生活から逃避して自己中心的な、自己満足的な時間になりつつあります。忙しい(心が滅びる)世の中で、走り回っているお正月となっています。年中開いているデパートや店へ行ったり、海外旅行のために飛行機、里帰りのために車の中に長時間を過ごす日々となったのです。反省する、心を改める余裕がない世の中です。その意味では皆さんに心からの招待状としてこの文章を贈ります。今年こそ教会の聖堂へ来て午前0時の一時間前ぐらいに身を謹んで神の前で新しい年を迎えるようにやってみませんか。降誕祭のろうそくの光の前でその神の愛の受肉の神秘とあなたの人生の関係を照らし合わせ、新しい一年を迎えるようにと。一年間の最後の締めくりとして一時間をキリストと共に過ごし、栄光の賛歌を新しい年の最初の挨拶の言葉として口にし、聖体の力を身に受けて新年を迎えましょう。兄弟の皆さん良い年を!。
主任司祭 ハーン・フランシス神父 |