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主キリストは真に復活された   2008年3月

司祭館のテレビの部屋の窓からのぞくと梅の花が咲いています。い ままでは桜の花が咲くのは気にしていたけれども梅の花にあまり関心がなかったのです。しかし今年の寒さに圧倒されてその白い花の芽生えをものすごく歓迎します。春の夜明けのしるしとして。一月の半ばごろ突然に池長大司教様より電話があり、宝塚教会に就任する司祭がなく、伊丹教会と同時に受け持ってくれませんかと頼まれていました。正直に言えば今の私が結構忙殺に近い状態にあり、更にこの重大な責任を受け入れればどうなるのかと思いましたが、司教様は大変お困りで、教会の現状から見れば断ることができないと思い、恐れ揺れながら「はい」と答えました。今月に大司教区の人事異動の発表があり、その中に伊丹と宝塚教会の主任兼務の報告があって私の名前が載っていました。今年の六月から幼稚園と司祭館の建替えが始まり、この任命は一年間だけでしょうがその後も神さまは何をなさるのか分からないので、今の十字架を担って歩もうというのが私の率直な気持ちです。十字架は神さまのプレゼントであり、主の出会い場でもあります。自分の無力に直面して更に神に寄りすがる時です。3月30日からミサと教会の勉強会、行事の時間などを調整して、そして司牧協力司祭と協力信者を探し、両教会の信徒評議会と相談して主キリストに頼って進むほかにはないと思っています。やはり教会は司祭だけではなく、建物でもない。教会は神の愛、哀れみとゆるしを中心にしてそれに向かって共に歩む信仰共同体です。私が伊丹に来てすぐに宝塚教会の主任司祭、岸神父様がご昇天され、その後仁川教会の主任司祭が担当司祭として任命され、二年近くその勤めを果たし、今度私がその奉仕をするようになりました。一昨年に大司教区では十人の司祭が、それぞれの意味で、いなくなりました。それは教区司祭全体の数の十分の一、たった一年の間に減ったのです。教会である私たちが、力を合わせて自分の都合だけではなく教会全体、教区全体のことを心を合わせて考えないと未来がないのです。日本のカトリック教会と信徒は内向的、閉鎖的、自己中心的な(自分の慰めと救いだけを求めている)ものであるように見なされているのです。NICE IとIIが 開かれた教会を目指す呼びかけをしました。日本の社会に対して、近所に対して開かれた姿勢をとって日本の社会に溶け込んで団結し、一致にして共にそれぞれの社会の問題を正そうという精神だと思います。その考えの裏では、福音的な価値は一般の社会のなかにもあるので同じ価値観を持っている方々と力合わせて問題の解決を共に求めようということです。しかし、我々信徒の場合は、共に歩む力が福音において与えられるのでなければ、すべての働きは空しいものです。人間の力は限られています。私たちの働く力は神の御言葉と主キリストの死と復活の信仰の神秘から流れでてこなければ単なる人間の運動、動きに過ぎないのです。だからなるべく多くの信徒が毎週日曜日に集められ神の愛の契約の言葉に耳を傾けてキリストの愛の宴に養われ社会に向かって働く手段の他にはないのです。伊丹共同体と宝塚共同体がそれぞれの場に集い、同じ糧に強められそれぞれのあたえられた現場に福音的な証をキリストによって、キリスト共に、キリストのうちに日常生活においてするのは信徒の大切な務めです。司祭の務めは信徒がますますキリストのこの世に対する愛の計画を自分の身に受け止めて生かすための協力者となることです。二つの小教区の中心はだれだれの神父の性格、何々の評議会の理論ではなく神の一人子イエス・キリスト御自身です。私たちに今与えられている課題は、今までのミサのスケジュール、勉強会、それぞれの会議などを守るということではなく、今与えられている現状の中に神の御旨は何であり、どのように私たちが互いに助け合いながらそれを自分の共同体と共に生かすのかということです。宝塚教会、伊丹教会いずれにしても同じ神の招きにおいて存在しており、どのようにしたらその招きに一番ふさわしい答えができるかを探しているのです。共同の司牧の課題は、司祭たちの問題だけではなくすべての信徒に与えられている課題です。求道者の洗礼の準備、病人の訪問、結婚の講座、お通夜、葬式の準備、教会の維持、福音宣教の計画などなど教会の務めは一人の司祭、伝道師、シスターの問題、役員会の問題、何々の委員会の仕事だけではなく共同体全体の責任であり、仕事なのです。それぞれの生活の事情で「私はそんなにお手伝いができない」と思っていても今の教会の現状に関心を持つ、祈る、あるいは教会内の小さな手伝いをすることによって、今それをして下さっている方が自由になって他の奉仕ができるようになるかも知れない、と考えるようにしましょう。洗礼を受けている信徒は 皆教会の一員であり、客ではない。洗礼によって共同体に奉仕する賜物を皆も受けているし、神の宣教者です。今の神様が与えてくださったこの現状を受け入れ、共に力を合わせましょう。復活祭に向かって「主キリストの過越しの勝利」、死の壁の間に道を開いて永遠に生きている主でおられることを、我らの生活においていろいろな人にそれを証するのは教会の与えられた使命です。何時どこでも主キリストによって賛美と感謝を捧げる生活は、真に私たちの最も大切な尊い務めです。四旬節の歩みを経て神の無限の愛、哀れみ、キリストの命を頂きながら、毎日その光のうちに進もうとすればするほど、今年は今まで以上に恵みに満ちた一年になります。伊丹共同体の皆さんのため、宝塚共同体の皆さんのために、大阪大司教区全体のためにそうなるように確信しています。主イエスよ、マラナータ(早く来てください)。
希望を持って復活祭を迎えましょう。

主任司祭 ハーン・フランシス神父

 


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