主イエス・キリストは真に復活されたアレルヤ! 2008年4月
寒い日々も過ぎ去ったと思うとまた肌寒い日が続きます。春の扉が早く開き,桜の花が咲くようにと叫びたいものです。新しい学年が間もなく始まり、子どもらが一歩前進するこの頃に、母なる教会は年毎に「キリストが復活した、死が滅ぼされた」と宣言します。この事実について教会は叫ばずに、祝わずに,記念せずに、いられないのです。この神秘こそ我々の信仰の中心なのです。今年の徹夜祭は暦の上ではすごく早くて、この便りが手元に届いた頃は復活祭の二週目にすでに入り、その典礼のインパクトが消え失せてしまっているかもしれません。ただ土曜日の徹夜祭のミサに預かったとすれば、長かったなと言う印象しか残ってないかもしれません。あの夜、信徒が暗闇のうちに集められ、復活の蝋燭の光によって我々の心の闇を照らされ、砕かれ,全世界の信徒が主キリストと共に過ぎ越しました。恐れから平安へ、闇から光へ、希望と喜びがない生活から,あがなわれた、希望に溢れた日々へ、キリストにある神の愛から我々を引き離すものがないと確信する信仰の神秘の祝い(過越し)でありました。その前の四旬節を経て断食,愛の技(施し),悔い改めの叫び(いのり)を通して我らの信仰の状態を見つめ、改めさせてこの復活節の50日間の流れに入りました。聖霊が降臨するのを待つ期間です(地の面に、私の心の地に)。弟子たちがキリストの十字架の前に、各々が自分の弱さ,信仰の足りなさにぶつかり沈んだときに復活したキリストがお現れになり、自分の力(息吹、平和)を彼らの身に注ぎ込み、それによって彼らが新たにされたものとして、全世界に向って福音をもたらした使者になったように、我らにも同じ体験をさせるはずです。各々自分が与えられた世界にキリストから受けた平安、許しを生かす準備の期間です。母なる教会は、私たちにもその新しい力[聖霊]が与えられていることを、この期間に確認するようにと促しているのです。年間の信仰の歩みすべてが復活徹夜祭、キリストの死と復活の記念の典礼から出発し、その完成を待ち望んでいます。教会とイスラエルの概念では、記念することは単なる昔の出来事を思い起こすだけではなく、記念する行動によりその記念する事実に参加することになります。イスラエルの場合は、過越祭の典礼に預かっていることによって、その者たちはモーセとイスラエルと共にエジプトから脱出し、荒れ野に入りシナイ山まで行き、神と共に契約を結ぶことになります。教会である我らもキリストの死と復活の過越しを記念する度にキリストの最後の晩餐、十字架の下、開かれたお墓に移され、新しい契約の元に生かされるのです。すべての典礼とその流れは儀式的、形式的な行事ではなく、泉、または火山のようなものです。信仰をもって典礼の流れに参加するものは、復活の勝利に預かってキリストと共に死に、彼と共に復活する証し人となるように派遣されます。あの聖なる三日間の典礼の一つ一つの行動は意味深いものであり、宣言される御言葉は私たちのいまの現実の生活にも深い関連があります。今の期間にその聖霊の力を更に蓄え、これからの一年の歩みの基盤にするのです。忠実に教会と共に歩みましょう。
主任司祭 ハーン・フランシス神父 |