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神父様のお話

 

四旬節に向かう心  2010年3月号

今年、灰の水曜日は2月17日でした。その日から母なる教会が「回心して福音を信じなさい」と様々な方法で私たちに促します。真の回心の精神を高める為に昔から、教会は四旬節中に三つの「道具:断食、施し、祈り」をくださいます。回心するのは形を整えるようなものだけではなく、たとえば灰を被せたり、食事を二日(灰の水曜日と聖金曜日に)減らしたりするような促しだけではなく、心を割って自分の生活の根本的な態度を見つめ直す招きなのです。私たちは自分の事であれば甘く見る傾向があり、自分が自分を見ているのと、他人が自分に対して受ける印象には大きなギャップがあるのです。四旬節は本音を出す、自分と真剣に向き合う決心をする時です。

現代の教会は大きな危機に陥っています。神の教えが一般の信徒の生活にはあまり届いていない危機です。例えば、信者の多くをはじめ、若者達は教会の性行動に対する道徳の教えを知っていないのか、あるいは知っていても無視している場合が多い。安息日に対する務め(義務)は今の時代では軽んじられているという気がします。重大な理由がないのに平気で何週間、何ヶ月もごミサに与らなかったとしても、教会に行った時には御聖体を拝領するのは当たり前、御聖体をいただくのはミサに出席するご褒美みたいなこと、というような考え方が多いのです。教会の基本的な教えを学び、それを自分の生活と照らし合わせることもせず、自分の感情だけで信仰の生活を送るのです。気が向いたら教会へ行きます、自分の生活が割合に安定しているならば維持費を払いますが、何もかも自分の生活が第一なのです。“初穂”という概念が頭にない。即ち、自分が持っているものは全て神様から頂いたものであり、神様を全面的に信頼している信仰のしるしとして、与えられたもの、収入などのうちから、何より先に、神様にその一部を捧げる心。旧約時代では収穫の一割を“初穂”として捧げるように言われていた。しかし今の時代では収入の3%を納めるように勧められている。このように今でも信仰生活の基準がありますが、今の我々は自分の理性と感情を優先して信仰の生活を送るのです。司祭をはじめ、信徒も神様の教えを適当に解釈なさっているのではないでしょうか。この世の快楽と安定を優先して、都合いい時に神様のことを思い出すのです。真面目に生きている、一生懸命頑張っている、人にはできるだけ迷惑をかけていない、などなどと自称して、神様が私みたいな人間に対して文句などあるはずがないと思っている。私は悪い人ではない、普通の人間、あの神父たちが言っている回心なんて私とは関係がない、という考え方が普通です。

「信仰の神秘」も自分の生活と行いはあまり関係がないように振る舞う時代。キリストの十字架は飾り物、アクセサリーみたいなもの。苦しみなし、問題なしに、楽しく生活したい、お金を儲けたり、飲んだり、食ったり、好きなことを何でもしてみたりするのは当たり前のこと。それが人生の目的であり、幸せの奥義であると多くの方が考えているようです。暇があれば神様を思い出して時々お礼をする為に拝みに行きますが、あまり自分の生活の妨げにならない程度で済ませるのです。困っている時、危機の時には熱心になりますが、普段は神の教えには適当に従う。この世の生活を維持する為には私たちは何時間もかけて色々な技術を学ぶ訓練をするのですが、神様の示す道、教えを学ぶ暇がない。自分の生活を自分の力で守らなければならないのですから。

「回心しなさい」と教会は促しています。御ミサに与っても自分の行いが神様の勧めた道と一致しているかどうかを真面目に反省し、そうでなければ、まず神様と和睦(告白)をしてから神の祭壇に近づき命の糧を拝領する、それが信仰の神秘です。完璧な者だけが御聖体を拝領することが出来るという厳しい話しではなく、弱く、小さく、謙遜な者、自分の罪を認め素直に心をあわれみ深い神に向けて歩む者だけがキリストと共にその過ぎ越しの道を辿ることが出来るという話しです。

四旬節は自分の本当の信仰生活の態度に再び直面する恵みのときです。神様とその御旨を自分の行いの土台として生活しているかどうか。そうでなければ、私たちの生活は空しいものになります。教会は二つの道を私たちの目の前に置きます。「命への道」と「滅びへの道」、どちらかを選びなさいと促します。この世の勧める道は、辛くなく、問題なしに、苦しみなしに自分の理性と力ですべてを左右してしまうような『My Way』の生き方です。キリストは別の道を示しました。毎日キリストと共に死に、キリストと共に生きる『過ぎ越しの道』です。自分の我、理性の奴隷の生活から神様を信頼して神の教えに従ってその自由の内に生きる道に戻る招きです。四旬節はその切り替え、回心の時です。形式的ではなく、心を割って今年こそ主と共に過ぎ越しの道を歩みましょう。

主任司祭 ハーン・フランシス神父 

黙想


          

 


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