アメリカよりの便り 2010年9月号

この文章が皆さんの手もとに届くころには、すでに、神様のみ旨であれば、アメリカにいます。そして、オブレート会の皆さんが九州の黙想の家で恒例の黙想の為に集まっているはずです。休暇を計画した最初のころは、黙想会に出席した後に出発するつもりでしたが、母方の身内の皆さんが15年ぶりに方々から集まる大きな集会を計画していて、皆が8月の末までに集まらないといけない事情となり、おそらく今回が最後のこの世代の大家族の集会になるので、黙想会をあきらめてこちらの集まりに出席する約束をしました。その集まりが8月29日です。全米国から集まりますので、一度に沢山の親戚に会えるので、あっちこっち走り回る必要がありません。オーストラリアの従兄弟、コロラド州、テキサス州などの遠い所から集まるので、久しぶりに色んな方に会えるのが楽しみです。
留守の間に敬老の日があり、小教区の先輩をはじめ、いろいろな病気を病んでいる兄弟姉妹の健康と幸せを共に集まって祈るのはとても大切なひとときでありますので、ともにいることができないことを非常に残念、と思っています。皆さんの健康と幸福の為に心合わせて祈ります。
以前に皆に分かち合ったと思いますが、9月は私にとって縁の深い月です。9月22日の伯母の三十才の誕生日に生まれ、丁度その一週間後の29日に母が帰天し,父が9月5日に、その兄弟三人にもその月に亡くなりました。更に47年前の9月8日に私が初誓願、終生誓願を43年前の8日にたて、その直ぐ後に9月16日に来日したのです。帰国している間に父と母の墓に訪れ,彼らの為に御ミサも捧げるつもりです。三年ぶりに帰ることになりますが、三年前に帰った時にはいらした数人がいなくなったのです。今までも勿論そのようことがありましたが、何となく今回は強くその事実を感じます。60歳代の後半に入ったせいかどうか、わかりませんが、悲しいか、寂しいかよりも人生は一つの旅であるという気がします。我らは皆がお遍路さんみたいな者です。真の遍路さんはある聖地へ向かって巡礼を施します。旅の途中で色々な出会いがあり、それによって自分の人生が豊かになり、最終的に全てが神の御摂理によって行われていると確信するときです。私にとって帰国するのは巡礼みたいなものです。神様が会わせて下さった方々、行った出来事を思いめぐらして感謝しながら、これからの歩みを新たにする力を補う旅を希望しています。日本に帰った時にそのような実りがあるかどうか楽しみにして下さい。
伊丹教会に派遣されてから今までの生活と日本に帰って来てからの生活は随分変ってくると思います。今まで、地区長、二つの小教区の奉仕をしたり、オブレート会の会計担当をしたりして大変慌ただしい毎日を過ごしてきました。それぞれの余分の責任から解放されたので、日本に帰って来てからは、主に当小教区の司牧に専用することが出来ます。今までは神父は忙しいです、だから、迷惑をかけてはいけないと感じた方は少なくないと思いますが、どうぞ、これから遠慮なく迷惑をかけて下さい。喜んで引き受け賜ります。宜しくお願いします。
では来月の末まで。
主任司祭 ハーン・フランシス神父
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