親愛なる伊丹教会の皆さん、
はるばるインドのプネ市よりの便りです。 2012年2月号
1月8日の夜11:40に関空からシンガポールを経てチェナイまでまいりました。
6時間ほど乗り換えのためシンガポールで滞在した後チェナイまでの旅でした。
そしてチェナイで次の便のため4時間半の待ちだったのですが、結果的には6時間になり、やっと夜7:10に目的の研修センターにつきました。まるで24時間中旅をしているようでした。着いた時間は予定より1時間半遅れてしまい、オリエンテーションがすでに始まっていたので荷物を部屋に置いてその集会場に急いで行きました。旅の途中、シンガポールで朝食をいただいた後チェナイではサンドイッチ一つとジュース一杯だけであまり食べられなかったのでお腹はぺこぺこでした。幸いにここでの夕食は8:00ですので、オリエンテーションのあとにインドでの最初の食事を喜んでいただきました。その後朝、昼、晩にカレーとライス、チッパティ、などのようなものを毎日頂いています。辛さはあまり感じません。その理由の一つは、ブラードリ神父とヒラン神父たちと一緒にインドの料理店でよく食べに行って、そのときにインドにいく練習のつもりでなるべく辛い方を選んで食べていたからです。
さらにもう一つの理由は、料理の辛さをおさえているからだそうです。南インドの出身の方々は少しがっかりしているようです。1月の月報ではプネ市小さな町と書いたのですが、尋ねてみるとインドの第二また第三番目の大都会とのことです。人口は確実ではないのですが7、8百万人だそうです。着いた翌日の火曜日の朝からここでの生活が始まりました。6:30の朝の祈りで一日が始まり、その直ぐ後にごミサ、朝食、9:00から最初の講義が始まり12:30までに4つの講義があります。昼食後、2:30までは自由時間、それから4:00までまた講義が2つ、4:00から6:00まで自由、6:00から7:30までは沈黙の時間と勉強、レポート作成などをする時間です。
7:30から夕の祈り、8:00に夕食、8:45からは殆ど毎晩ビデオ、映画を見る時間です。そのビデオ、映画は次の日の講義の関係があるので欠席はできません。
非常に厳しい毎日です。土曜日にも朝の6:30から午後4:00までのスケジュールがそのままあり、その後は自由ですが夜に外へ食べに行くことや、または遊びに行くことは禁止です。日曜日の朝食後、夜10:30までだけ自由行動の時間です。
その厳しいルールの目的は、参加者の間に共同体意識を高めて、共に助け合いながら回心の道に進むためだそうです。修道会の修練期のようなプロセスです。30名の参加者は修道女26名、インドの司祭3人と変な外人一名、私です。
私以外の方々はインドの遠い地方からはるばる来られています。ある司祭は北インドの教区司祭で、講義の始まる一週間前に司教から行くようにとの突然の命令が出て、1月5日に出発し汽車乗って三泊四日の旅だったそうです。ここに来るのに一泊二日の旅をしたという方々が多いです。その意味では私の旅の苦労はあまり大したことではなかった、と感じました。 気候は日本の4月の半ばぐらい、昼では20℃前後、夜は10℃までに下がります。蚊が多数いますが何とか頑張って戦っています。皆さん大変親切で、私はすぐにこの生活になれました。
1月15日は神言会の創立者聖アーノルド・ヤンセンの列聖の記念日ですので朝のミサでその記念を盛大に祝いました。インドは私に祈るチャンスを多く与える気がします。日曜日の朝食後に私は一人の若いインドの司祭と一緒に市バスに乗り、町の中心へ遊びに出かけました。その市バスは大変な冒険のようなものでした。猛烈なスピードで走ったり、急に止まったり、人々が飛び込んだりして、スピードバンプを無視して走り、乗客をあちこちへと飛ばしながらやっと町の中心に着きました。歩き回りながら買い物をして、この町の日曜日の生活を少し発見しました。
帰りのバスの乗る場所を色々な人に尋ねてもみな違う場所を示し、そこ行っても違うと言われてなかなかそのバスを見つけられなかったので「アート(三輪車の小さなタクシー)」に乗り、さらに大変な旅が始まりました。カーチェイスのような走りかたをし、クラクションを鳴らしながら研修所の門に着きました。祈りで始まり祈りで終える一旅でした。インドの生活の最初の楽しい冒険でした。
ここでの生活は、私が希望した目的に非常に一致しているプログラムと感じています。最後まで、素直に神の声を聞こえるように私の為にお祈りください。
私は毎日皆様方のために祈っています。
4月の巻頭言文は帰ってから書きますのでその時にその結果を報告します。うまくいけば言葉だけではなく態度と行動において。
主任司祭 ハーン・フランシス神父
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