+ 平和を祈るミサ&講演会を終えて

終戦後64年の今年、「聖母被昇天の祝日」かつ終戦の日である8月15日(土)に、カトリック平和旬間の一環として、私達の伊丹教会でも平和を祈るミサと講演会を行いました。日本カトリック医師会より紹介頂きました「沖縄戦と平和をつたえる会」の大城盛俊様が、「沖縄戦と平和をつたえる」という演題でご講演くださいました。その要約をお伝えしたいと思います。

平和を祈るミサと講演会
1932年 昭和7年、今の沖縄県知念村に生まれた大城さんは、家庭の事情でおじさんとおばさんに育てられました。1941年に始まった太平洋戦争も始めは日本が優勢でしたが、アメリカ軍の圧倒的な物資の前に日本軍は次第に追い詰められていきます。講演は日本軍が沖縄を本土決戦の最終防衛ラインとするために、8万5千人の兵隊を沖縄に投入したところから始まりました。
沖縄にやって来た兵隊は「沖縄は自分達が守ってやるから安心しなさい。」と言っていた。その代わりに彼らは、食料と住居の提供を求めてきた。男達は塹壕を作ったり、山を切り開いたりする労働に借り出され、女達は炊事、洗濯、掃除などに従事させられた。沖縄の人たちは日本のためと乏しい食事を2食に減らし、兵隊に食糧を供給し、戦闘の準備をした。
1944年10月10日、日本の情報を事前に察知していたアメリカ軍により那覇港周辺が爆撃され、台湾から沖縄に届くはずだった大量の武器、食料が全滅してしまった。この後、日本軍の沖縄に対する考えや態度が変わってしまった。
1945年3月25日、慶良間列島アメリカ軍が総攻撃を加えた時、日本軍は民間人が捕虜になるのを恐れ、「捕虜になれば、女は犯され、子供も老人も皆殺しになるぞ。」と話した。島民はいずれにしても死ぬのであればと母親がかみそりで両親を殺し、泣き叫ぶ子供を殺し、自分も死んでいったのだった。
アメリカ軍が上陸してくることになった時、沖縄の島民は多くのガマ(壕)に隠れていた。一つのガマに300から400人が隠れ、その内120から150人の子供がいた。おなかをへらして夜泣く子供達を黙らせろと日本兵は命令し、その後も泣きやまない子供達に毒を飲ませて黙らせようとした。
また、1945年5月20日、家族のわずかな食べ物である黒砂糖をリュックサックに入れて持っていた大城さんを日本兵が見つけた。女の子の格好をしている方が安全というおじさんの考えで、おかっぱ頭をしていた大城さんを捕まえて、兵隊は「女の格好をしているとは何事か。」「そのリュックサックを渡せ。」と言いつつ、殴る蹴るの暴行を加えた。おじさんが飛び出し、許してくれるようとりなしたが、暴行は続いた。おじさんが中国戦線に兵士として出征していたことがわかり、兵隊達は去って行った。大城さんは右目に重傷を負い、右肩を脱臼していたが、それでも、家族とともに、次のガマへ逃亡を続けなければならなかった。アメリカ軍が迫ってきたある夜、他のガマから大城さんに会いに来たお母さんが、
深夜、自分のガマへ帰る途中、日本兵に見つかってしまった。日本兵はお母さんをアメリカのスパイと決めつけ、いくら弁明しても聞かなかったばかりか、ガマに帰り着いた時、スパイがこのガマの中にいると言ってガマの人達を外に出し、中に残っていたお母さんを手榴弾で殺してしまった。
やがて、大城さんたちのガマをアメリカ軍が取り囲み、日本兵はいないかと問いただした。その声にまず大城さん達子供が出て行くと、アメリカ兵はチョコレートとタバコを与えた。おじさんたちはだまされてはいけないと捨てさせたが、アメリカ兵のひとりが入ってきて、チョコレートの銀紙をむいて食べ、タバコを吸って沖縄の言葉で言った。自分は沖縄からハワイに移住した人の2世であると。この言葉におじさんたちも緊張を解き、アメリカ軍の捕虜収容所に行くことになった。大城さんの傷を見たアメリカ兵は、このままでは死んでしまうとアメリカ軍の医療施設へ連れて行き治療をしてくれ、兵隊と同じ食事を与えてくれた。しかし、まともな食べ物を長く取っていなかった大城さんはひどい下痢をおこしてしまった。それを見たアメリカ軍はお粥を作って与えてくれた。
味方だったはずの日本兵に母親を殺され、自身も死ぬほどの重傷を負わされ、敵だったはずのアメリカ軍に助けられたと話されました。軍隊は自分の国は守っても、一般市民は守ってくれないと言う言葉が重くのしかかってきます。
一方、戦後の沖縄はアメリカ軍が駐留し、沖縄の人たちは彼らの横暴に悩まされました。64年経っても、戦後は終わっていませんとのことでした。
大城様は、これまで22年間、全国約1300箇所で沖縄戦を語ってこられました。この間、喉頭がんの手術を受けられ、その後も人工声帯を用いて各地で沖縄戦の惨状と平和の大切さを伝え、阪神淡路大震災で家を無くしても、奥様が脳梗塞で倒れられても、講演活平和イメージ動を続けておられます。
戦争は人を極限の状態に追い込み、ふだんは優しい人をも狂気の姿に変え、命を粗末にしてしまいます。それは味方であれ、敵であれ、同じことです。大城様は沖縄戦の悲惨な体験を通じて、いかなる戦争も過ちであり、繰り返してはいけないものであることと、平和の大切さを伝えておられます。
ミサには150人の方が、講演には約90名の方が参加してくださり、伊丹教会外からも10数名の方々が来てくださいました。ありがとうございました。
(文責:研修委員会)
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